辺境×日記

ごく個人的に思う事を書く

ガルシア・マルケス「百年の孤独」を再読したい

試験勉強のためにブログ断ちをしているのだが、この増田には反応せざるを得ない。

anond.hatelabo.jp

 

そんなあなたに是非オススメしたいのはガルシア・マルケスの「百年の孤独」です!!

(ちなみにこの作品などが主に評価されて彼は1982年のノーベル文学賞を受賞しています。)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

  • 作者: ガブリエルガルシア=マルケス,Gabriel Garc´ia M´arquez,鼓直
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2006/12/01
  • メディア: 単行本
  • 購入: 25人 クリック: 269回
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 南米のある架空の村「マコンド」が興ってから衰退するまでの開拓者一家「ブエンディア家」の百年の物語、、と言われるとそれのどこが面白いのかと思うでしょう。

 

この物語を一言で表現すると「怒濤」。

時の流れというのは、つまり人生の束なのだと思わせてくれる、不思議な物語です。

 

よく、人が死ぬ寸前に「自分の人生を走馬燈のように見る」というではありませんか。

この物語はいわば「走馬燈回りっぱなし」です。

「人生は走馬燈そのもの」なんではないかと思えてくる。

 

とにかくテンポがいい。物語が最高速度でひたすら流れ続ける。

普通「物語」というと、「話を展開すること」に主眼が置かれると思いますけど、ガルシア・マルケスは明らかにこの物語では「時を流すこと」に主眼を置いている。

その発想の転換が、これほどまでの中毒性を産むということを、なぜ彼は知っていたのか。

 

ちょっとこの物語の出だしを引用しましょう。

長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したにちがいない。マコンドも当時は、先史時代のけものの卵のようにすべすべした、白くて大きな石がごろごろしている瀬を、澄んだ水が勢いよく落ちていく川のほとりに、葦と泥づくりの家が二十軒ほど建っているだけの小さな村だった。ようやく開けそめた新天地なので名前のないものが山ほどあって、話をするときは、いちいち指ささなければならなかった。毎年三月になると、ぼろをぶら下げたジプシーの一家が村のはずれにテントを張り、笛や太鼓をにぎやかに鳴らして新しい品物の到来を触れて歩いた。最初に磁石が持ち込まれた。

、、、、、、、

危ない!!うっかり再読が始まってしまうところであった。

最初の一文だけ引用するつもりであったけど、すさまじい中毒性の重力に抗いきれないところであった。

 

いきなり一文目に「銃殺」と「村のはじまりの様子」が詰め込まれているこの高密度感。

そしてこのテンションが最後までずっと続きます。

こんな体験のできる文章ってなかなか他にありません。

 

この翻訳がまた非常によくできていて、流れるような幻想的な日本語で、くせにならずにはいられない。

 

外国の文学にありがちな「登場人物多すぎ問題」も家系図付きなので安心です。

ですが、それも実はたぶんガルシア・マルケスの作戦で、名前が混乱してきて読者の脳みそがハイになってくるぐらいを狙っているのではないかと途中で思えてきます。

(家系図三段目右にある「アウレリャノ(17名)」ってあたりがその極端な事象なのですが。。。)

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この手の「名作」と言われる小説で自分が人生で二度三度読んだのは、今の所ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」だけですが、次に二度読みするのはまちがいなくこの「百年の孤独」に違いない。

(しかし、今にして思えば「主人公のオラオラ感」がこの二作品には共通しているな。。。)

 

しかも、今僕はスペイン語を集中的に勉強しているので、実は辞書があれば原書が読めそうということも最近判明した。

あと数年スペイン語を勉強した暁には「『百年の孤独』を原書で再読!」という夢のようのことが実現するかも!!

 

では勉強に戻ります。

いくつもの外国語を身につけること

今日は少し余裕があるので、「ブログ断ち」を一休みして記事を書きます。 

8月から毎日3時間以上、スペイン語を勉強しています。

11月25日にその検定試験を受ける予定ですが、その試験問題集に挑戦してみた所、思いのほか高得点。

それで今日はちょっと余裕ができました。

 

今の所、自分が話せる外国語は英語とヒンディー語です。

レベル的には、英語は日常会話から仕事上の会議・電話とかまで、ヒンディー語はある程度の日常会話、旅先で会った人たちと多少の身の上話程度なら可能という感じ。

念のためヒンディー語について

ヒンディー語というと知らない人もいると思いますが、一言で特徴を言うと、

「北インド最強言語」

です。

北インドの辺境を旅すると、しわくちゃのおじいちゃんが、杖をついた手をプルプルさせながら、

「遠い所から来なすったか、ならばあなたにもわかるようにヒンディー語で話してあげよう」

みたいに接して来ます。(もちろんそういったおじいちゃんはさらにマイナーな言語を母語とする。)

※「北インドの辺境」っていうのはこれぐらいの辺境っぷりです。

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 ただ、最近ヒンディー語は伸び悩み中です。

そもそも良質な電子辞書が存在しない上に、インド人で教育を受けた人は僕のような外国人とは英語で話したがる傾向がある。

それで、まあヒンディー語はまたインドに行くことにした時に数ヶ月勉強しなおせばいいかなと思って休んでいる所です。

 スペイン語について

なぜスペイン語なのか?

きっかけは単純で「スペイン語の歌が好きだから」。

そのせいで、スペイン語の響きの美しさへの憧れがあまりにも強くなってしまったためです。

 

それで、2年前に2ヶ月だけ挑戦して、一度はあきらめました。

だって、教科書で「1つの動詞の活用形は126通りあります」とか見てしまったから。

無理!!

ってその瞬間に思いました。

 

でも、最近また火が着いて、再挑戦しています。

 

そして、来年スペイン語圏を旅行しようと決めたので、一気にやる気が出てきました。

ついでに検定試験も受けることにしたので、それもモチベーションの維持になっています。

 

鬼門である動詞の活用も今の所22通りくらいまで分かってきて、結構いろんな表現ができるようになってきた。やればできるものだ。

 

ヒンディー語を勉強した時の経験を基に、効率的に勉強が進んでいると思います。

学習のための環境も豊かなので、自分のヒンディー語よりもはるかに高いレベルを目指します。

 

とりあえず現時点でスペイン語圏の旅行程度では困らないレベルにはなったと思います。

しかし、検定試験ではそれよりももう少し高いレベルを求められるので、さらに勉強を続ける必要があります。

外国語を身につけるにはコツがある

これまで日本に居ながらにして、色々外国語を勉強してきたのですが、外国語で一定のレベルまで会話・聞き取りができるようになるためには、それなりの方法がいくつかあります。

 

逆にそれを知らないと永遠に足踏み&あきらめという事態におちいります。

 

今度、スペイン語の検定試験に受かったあかつきには、それらのコツも書いていきたいと思います。(書かなかったら「あ、、受からなかったんだ、、」と察してください。)

 

今確実に一つ言えるのは、インターネットやコンピューターの普及で、かつてないほどに外国語の勉強は簡単になってきたことです。

(これ以上は書き出すと大変な長文になりそうなので、また次の機会に書きますね。)

 

ではまたこれから2時間勉強!!!

明日も起きてすぐ1時間勉強予定!!!

ふたたび「ブログ断ち」モードに戻ります。それでは!

フジテレビ2017年の「保毛尾田」問題について

今ブログ断ちしてるけどこれだけは書いておく。

 

僕の10代の10年間はあの「保毛尾田」のせいで、まさに暗黒時代であった。

まさにあれのせいで、自分が忌むべき存在、嘲笑されるべき存在として刷り込まれた。

 

社長のコメントの

「不快な面をお持ちになったことは大変遺憾なこと。」

にあるような、「不快な面」どころのレベルではない。

僕の人生の貴重な10年を真っ黒に塗りつぶしたことを墓場に行くまで反省し続けてほしい。

 

我が家はすでにテレビを廃止して10年以上たつので、今更テレビが何を放送しても見ないけれど、未だにこんな事が起こるのであれば地上波など消滅すればいいと思う。Youtubeで見たいものだけ見るよ。

 

追記

同じような感想の方がいらっしゃった。

とりあえずリンクしておく。

http://www.kanaehiphop.tokyo/entry/2017/09/29/135546

 

ブログ断ちしてます

ちょっと11月25日に重要な(でも単なる趣味の一つの)資格試験を受けることを狙っているので、一時的にブログを中断することにしました。

 

試験の申し込み締め切り日は10月11日なのですが、9月末まで必死で勉強して、行けそうと思ったら申し込みます。

(ダメそうだったら来年5月ですが、できれば今年受けたい。)

 

なんとしても時間を確保しなければならないので、iPhoneのはてブアプリもアンインストールしました。

 

それでは。

女性営業職がゲイ顧客にうっかり遭遇したときの無力感は異常

世の中のBtoBの「女性営業職」というのは、未だに「女を武器に」した営業戦略を採っているところがままあります。

一般的にはそういう営業手法って有効なのかもしれないけど、うっかり僕のようなゲイに遭遇した場合は、単に「こっけいな人」でしかなかったりするのが面白げです。

よくあるパターン

僕の会社にも時々飛び込みで来るのですけど、本当に昔からあるのは生保レディ。

たいてい二人組で30代と20代の女性の組が多いかな?

残念な事に僕が窓口になった場合には、受付電話の段階で即お断りだけれど、それでも食い下がってくる場合はエレベータ前の電話の所で一方的に名刺を受け取るまでしかしない。(そしてその名刺は即ゴミ箱である。)

まあでもこの作戦はノンケには非常に有効みたいで、うちの50代社員は彼女たちを非常に丁重に扱って、場合によっては会議室に通して差し上げて話し込んだりするようですけど。。。

 

他にも電話営業であきらかに「軽そうな女(言葉が悪くて申し訳ない)」とか「アニメ声の女」とかで掛けてきたりするケースもある。

「上手いね」と思うこともあるけど、ほとんどの場合は「本当にお疲れ様です」としか思わない。

もっと悲しいパターン

転職媒体のエン○ャパンが来たときはひどかった。

やはり女性がやって来て、

「今度、うちで萌えキャラ作ったんですよぉ〜(ハート)」

的な気色悪い猫なで声で迫ってきて、それだけでも「キツ、、、」と思ったのだけど、さらにその「萌えキャラ」とやらがプリントされたクリアホルダーを無理矢理手渡された。

ちなみにこれのことね。

20150701_yukari2.png

転職アドバイザー縁(えん)ゆかり

<プロフィール>

兵庫県出身(27歳)。大学卒業後、東京の人材系企業に就職。

転職者の支援を行っている。 仕事で大切にしていることは「誠実さ」。

好きな食べ物は焼き肉、メロン。

 

 

(※ エンジャパンのサイトから引用)

僕には正直きもい。

今回このキャラの「プロフィール」とやらの設定を見て、さらにトリハダものであった。

好きな食べ物は「焼き肉」って!

「男性上司に飲みに連れてってほしい感」ダダ漏れじゃないか!!

その他細かい事省きますが、この数え役満っぷりのキャラ設定はあざとい。

しかしこういう「ノンケ男性にとって都合の良い女」設定って、きっとノンケ相手には有効なんでしょうね。。。

逆に非常に効いたパターン

「女を武器にした」という時点で僕にはもう全く意味の無い存在なのだけど、これがやはり「男性営業」だとやはり僕にはぐっとくるものがある場合もある。

一番ピンチだったのは、男性の電話営業で、

「弊社は体育会系の大学の新卒就職斡旋企業なのですが、、、」

と来たときはやばかった。

でもうちの会社は能力重視で不要な人材は一切採らない主義なので、心を鬼にして即答でお断りした。

しかし、「性」を営業に使うってこういうことかもねと、ちょっと状況が垣間見えた気がする。

ちなみに

本当に優秀な、客の心をつかむのが上手な女性営業が来た場合は、まじめに話を聞いていますよ。

思考実験:「この文章を書いているのは誰か?」

そもそも自分がこの文章を書いているのか?

さきほどの自分のブログ記事を書きながら、その状況をメタに観察してちょっと驚いたことがある。

www.bearcub-blog.com

この記事は確かに僕がキーボードをパチパチ打って書いたのは確かだ。

傍から見れば、明らかに僕があの文章を書いたと普通は思うだろう。

もちろんこの文章もだ。

でもそれって本当??

普通、「文章」というと、

「筆者が」「筆者自身の意思で」「書きたい事・書くべきことを」「書く」

と思うだろう。

 

でも、本当にそうか?

僕は最初から冒頭のような記事を書こうと思ったのか?

そうではない。

「筆者」はたちまち消滅する

先の記事、最初は「最近自分のブログの優先度が下がってるよね」という感情だけがあった。

そして、それを書こうと思い、3行ぐらいで書いた。

「筆者」がいたのはそこまでだったと記憶している。

 

なぜならその直後には「プレビューモード」にして、「読者視点に切り替えて」推敲指示を自分に対して発し始めたからだ。

 

その直後から、僕の中の「筆者」は消滅し、「編集担当者」と「入力係」の二役に分裂した。

 

その「編集担当者」は、「ブログ」というフォーマットに適した段落分け、取ってつけたような論理展開、文章区切りを事細かに指摘する。

 

頻繁にプレビューモードと編集モードを切り替え切り替え、僕の指は「編集担当者」の指示通りに入力する。

 

文字数が1000文字を越えてきた?

そろそろいいだろう、不要な改行を適切に縮減しよう。

こうやってなんとなく「ブログ1記事」が形成されていく。

 

「筆者」は最初のアイデアを残して、いつの間にか消滅しているのだ。

文章は執筆されているのではない、発生しているのだ

これはなんだろう。

少なくとも素朴にイメージする「執筆」ではない。

どちらかというと文章が「発生している」と表現するほうが適切ではないだろうか。

 

「筆者」と思っていた自分はそもそもいないのでは?

「自分が書いた文章」というのは、キーボードで入力したという意味においては正しいが、それ以上の意味で「自分が書いた」と言っていいものだろうか。

 

世の中の文章の多くがこのような過程で「発生して」いるとすれば、自分たちが文章を通じて行っている「コミュニケーション」とは何なのか?

 

実は、「ブログ」とか「ツイッター」とか「匿名/実名」とか、そういうフォーマットとか構造のようなものの狭間からこれらの文章群は染み出しているだけなのではないか?

 

そして、世の中は確実に文章によって動いてきた。

誰もがブログ、SNSで文章を書けるようになった時代だからこそ、こうした根本的なことに答えられる哲学に出会えたらいいと思う。

複数レベルの執筆環境で精神が安定していると思う

自分の文章執筆環境を「レベル」分けして整理してみた

自分が日頃書いている文章をレベル分けしてみた。

それで分かったんだけど、結構今の体制って、自分の精神の安定に寄与しているんじゃないか。

表層レベル:SNS

一番表に出ているのが、リアルな友人とつながっているSNS。

ゲイアカウント:インスタ、Facebook(これらは全て鍵付き)

ノンケアカウント:Facebook(この別アカウントは公開)

これらは人間関係が色々複雑にからむので、簡単に投稿はできないし、小難しい話を書く事もあまりできない。

窮屈だし、そういう所だけでは物足りないんですよね。

中層レベル:匿名ブログ

「匿名公開されたチラシの裏」というちょうど良い空間。

好きな事をある程度好きなように書ける。

ゲイである事を隠す必要もない。なんとなく世の中とつながっている感覚も持てる。

独りで考えている小難しいこと、意味不明瞭なアイデアなども書きほうだい。

(なのでうっかりここを開いて読んでしまった方にはちょっと申し訳ないかも。)

 

なんとなくここまで続いているが、「自分の精神の安定」に役立つ位置を占めてきたと思う。

深層レベル:iPhoneのメモ帳

逆に「非公開のチラシの裏」は、iPhoneのメモ帳の中に別途ある。

そっちのほうは極端に嬉しかったことと、非常に暗鬱としたことと、両極端な内容だ。

 

そして詳しい。

時々読み返すと、自分の精神の調子の変動がわかって良い。

 

彼氏と喧嘩して、仲直りしても、その数日後に喧嘩の影響でどんよりしてたりすることがある。

人間の精神の変動って、状況の変動にタイミングが合っているわけではないんだ。

(なので、たとえ気分が落ち込んだりしても、すぐその後にまたケロッと明るくなれることも予見できるというのがいいのです。) 

現在のこのブログの優先度

先月、ブログを書くために多少睡眠時間を削ってしまった日があったので、最近はブログを書く優先度を徹底的に下げている。

 

おかげで記事は減ってしまって、多少気の抜けたブログになっているのは自覚している。

 

ちなみに現在の優先度順はこんな感じです。

  1. 睡眠
  2. ジム
  3. 有酸素運動・各種ダンスの練習
  4. 彼氏・友人との食事などのイベント
  5. ブログを書く
  6. 株の銘柄研究、投資のバランスなどのチェック

ブログ優先度低い!!!まあいいか。

今日も特に内容の無い記事だけど、いいよね!

アイキャッチ画像とか面倒だから省略!!